上波田の御柱と景観(松本市)-その1

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御柱と言うと、諏訪を思い浮かべる人も多いかと思いますが、松本平では正月行事として「道祖神」「三九郎(どんど焼き)」等とあわせてお祭りされます。
今回は旧波田町の西側(上高地寄り)に位置する上波田地区を歩いたので、記録としてとどめておきたいと思います。

2上波田は上丁、中丁、下丁と3本の御柱が建てられています。

新聞記事に「集落毎」とありますが、歩いてみた感じでは波多神社(昔は波田ではなく波多と書いたようです)の参道沿いのひとつの集落といった感じです。

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3その波多神社の入口に建つのが上丁の御柱、新聞記事のものですね。

三九郎(どんど焼き)もそうですが、正月行事は子供達が活躍する場でもあったようです。
今では危ないと、なかなか使わせてもらえませんが、昔は子供達だけで鋸やナタで木や竹を切って、組み立てるのが当たり前でした。子供の頃から道具に触れることで、自然と体で覚えていきましたが、今は大学生になっても使えない人が多いですね。

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参道は石張りの道路になっています。暗渠で下は水路になっているようです。
両側には立派な民家が建ち並ぶ感じのよい場所ですが、新しい住宅に建て替えられているところもあります。

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中丁の御柱です。安曇野の御柱は道祖神様の近くに建てられることが多いですが、ここは何もないようにみえる場所に建っています。境なのかな?

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安曇野に来て驚いたんですが、家と並んでカーポートが立派なことです。
積雪量は多くないものの、寒さが厳しく凍りつくことや時雨が多いことから、昔なら屋敷の中に馬小屋があったように、多目的に使えるスペースを作るのでしょうかね。

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最後は下丁。この写真の反対側は普通の田園が広がっています。

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今回、松本市役所波田支所から歩いて回りました。
昔の町並みは梓川の段丘の上に広がっていますので、最初そこまで登らなくてはなりません。周遊する元気のない人は、一旦、松本電鉄でひとつ先の渕東まで乗り、そこから波多神社へと行かれると往復しないですみます。














芦ノ尻道祖神祭り < 2014/1/7 ・ 長野市大岡 >

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0001_2正月の注連飾りを使って神面装飾される道祖神がある、長野市大岡(旧大岡村)の芦ノ尻道祖神

麻績(おみ)村との村境近くに置かれるこの道祖神が建立されたのは明治元年のことのようです。

正月の七日、芦ノ尻では家々から松飾りの注連縄(しめなわ)、オオヤス、コヤスを運び、道祖神の石碑に飾りつける。
目、鼻、口、眉毛、口髭、顎髭、冠を形作り、威厳を持たせたい願いをこめた神面とする。
御神酒樽、三つ重ねの酒杯、肴(鯛)もつくりお供えする。

道祖神は集落に悪霊、疫病などの災いが入り込まないようにと、集落の境などに造られる。

2829a芦ノ尻では15歳になると道祖神祭りの時に集落の行事に親に変わって参加できるようになる。仲間入りするしきたりとしてお酒を一升持たされて参加した。

一年間の守護役をつとめた神面は、夜のどんど焼きの人ともに自然に帰る。

長野オリンピックの開会式のセレモニーに参加したことですっかり有名になったこの道祖神のお祭りを見てきました。

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2851a古い装飾の道祖神に拝礼した後、あっという間に取り外されて石碑が姿を現しました。

ここの道祖神は文字碑です。写真右手に小さな双体道祖神があります。神面ではないですが、こちらも綺麗に装飾されていました。

古いのが外されると、いよいよ新しい装飾を始めます。

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リーダーの人から分担が発表され、それぞれ作業に入ります。

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古い松飾りからパーツが外されていきます。遅れて参加の子供たちも手伝います。

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男衆は飾りを組み立てていく。近くで女衆が豚汁やお茶のサービスをしていました。
女の子達も松をどんど焼きの場所に運んでいました。

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口→髭→鼻→目→眉と下から作り上げられていきます。

遠くから見て指示する人がいて、そのたびに修正されていきます。

どんど焼きは松と竹を組み合わせて作られていましたよ。

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北アルプスの展望が素晴らしい場所にある芦ノ尻道祖神。
装飾されていく多くのお客さんもじっと見守っています。
集まってきた子供達は豚汁食べたりしながら遊んでました。

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傍らの小さい双体像の装飾は新しいものに作り替えられました。
祠のような形がちょうど屋根のように見えます。

そしていよいよ神面道祖神は冠の部分が作り上げられていきます。

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最後の微調整は結構念入りでした。
元々同じ大きさのものではないですから、バランスは難しいですね。

それでも1時間半ほどで全ての装飾が終わりました。
その後、記念撮影やお茶菓子が振る舞われました。
どんど焼きには子供達が書いた書き初めも奉納されていました。

1071209aどんど焼きは18時から。
夜に会議もあったので見られませんでしたが、この日はNBS長野放送が取材に入っていました。

オリンピックの頃は43戸ほどあった家も、今は33戸。
このような道祖神祭りをするのも容易ではないそうです。

報道では「伝統を守っていきたい」とありました。
でも、「有名になって見に来る人がいるから続けている。大きな松飾りも今は祭り用に準備しないといけない」と話されていた長老の言葉が心に響きます。

募金箱を置いたら盗まれたという時代。
子供の数も年々少なくなっていきます。
伝統を守るのは大切ですが、現実は厳しいものがあります。

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こんな芦ノ尻道祖神の場所はこちらです。訪れる際、狭い集落の道路ではゆっくり走りましょう。

大きな地図で見る

伊那街道小野宿探訪<2012/7/29>

6336 この日は午前中、乗鞍高原で小大野川で行われたあずさ・水と暮らしの楽校協議会主催の「初夏の乗鞍高原でシャワークライミング!!」に参加してきました(別宅記事はこちらから)
朝の乗鞍高原いがやから見た乗鞍岳。この後雲行きが怪しかったですが幸い雨には降られずでした。

6363平成24年度農林水産省「食と地域の交流促進対策交付金<詳細はこちら>」の助成を受けての事業
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夏の乗鞍高原の楽しみをもうひとつ発見。

次回は9月2日に鉢盛山へ行く計画。
大雨による登山道崩壊などで唯一登山に許可がいる山で、やまたみ倶楽部でも2回ほど計画しましたが、諸般の事情により中止になった山。
一度は登りたいと思っている山なのでなんとか天気になって欲しいです。

さて、前置きが長くなりました。このあと夕方から塩尻で会議があります。自然探検隊の下見に参加するにも中途半端なので、以前から行きたいと思っていた小野宿に行くことにしました。

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6412国道153号線沿い、JRで行くと辰野線・小野駅から訪れることになります。
写真が多くなりますが、じっくりとご覧ください。上の写真の場所は本棟作りの建屋が集まっている場所です。

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調べれば歴史的な背景を書いたものはあるのでしょう。こうやって歩くだけではつまらないですね。
さて、今回のお目当ては夏季公開中の小野宿問屋(旧小野家住宅)

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中山道は慶長6(1601)年開かれました。当時のルートは~下諏訪~岡谷~川岸~諏訪峠(小野峠)~シダレグリ~小野~飯沼~牛首峠~桜沢~贄川・奈良井~というルートでしたが、元和2(1616)年廃道となり中山道は~本山~洗馬~塩尻宿~というルートに、塩尻宿から善知鳥(うとう)峠を経て伊那へいたる現在の国道153号線相当が伊那街道と呼ばれるようになりました。
小野家は延宝6(1673)年に伊那街道問屋役として明治8(1970)年に問屋制度が廃止になるまで約200年間問屋役、名主役になったそうです。
現存の建物は安政6(1859)年3月の大火の後再建されたものですが、唯一土蔵だけは大火で焼け残り現在に至っています。

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石像物(地蔵尊)の写真展も開かれていました。

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2階もあります。中二階もあって物置になっていました。洒落た造りです

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ここで寺子屋も開いたようです。

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明治初期のガラス、ゆがんだ感じわかりますか?
郵便逓送用篭も展示してありました。

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写真で見るより是非一度ゆっくりと訪れて実物を見てもらいたいものです。
ここは展望の良さで人気の霧訪山の麓でもあります。

富士尾山(1296.1m)/安曇野の里山

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すでに田植えの終わった水田と黄金色の麦畑が美しい安曇野・穂高。
北アルプスの前山として、また地元の人々の暮らしを支える里山・富士尾山。

詳細写真は別宅記事富士尾山(1296.1m)/安曇野の里山へどうぞ
なお、コース案内は記載しておりません。案内が必要な方はこの記事にコメント(メールアドレス記載)か安曇野案内人倶楽部へお問い合わせください。

松本の古きを訪ねる(四賀村・北新村)

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3889_2旧四賀村にある会田中学校跡。そのままの形で保存されています。
中は見学できないのかな?机とかもそのまま残っていました。

四賀村時代に整備されたのでしょうか。訪れた5/31には子供達が思い思いの場所で写生をしていました。

何か利用しても良いのではと感じました。ちなみに写真には写っていませんが、この隣近所には「屋内ゲートボール場」なる建物がありました。でも活用されているのかな?

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3904最近、なにかと島立や新村あたりに訪れる機会が多いのですが、ここは松本大学のある北新という場所。
この北には島内という地名の場所がありますが、東に南から流れ込む鎖川、奈良井川、西から梓川に囲まれた大きな三角州のような場所にあります。

大きな長屋門のある屋敷や郷蔵跡などもあって閑静な町並みが残っています。
でもその多くは表札もありません。公民館の様子から、地区では保存活動が行われているようです。

北国西街道(善光寺街道)・会田宿

3827旧四賀村(現松本市)に北国西街道の一宿場町・会田宿はあります。
松本平と善光寺平、塩田平を結ぶ交通の要衝でもあり、宿場町も戦国時代から形成されていたようです。

また、周囲の山にはいくつもの山城があったようで、今でもその城址とわかる場所も多くあります。

これらの山城は後日訪問するとして、今日は町中を少し歩いてみました。

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3828今回は時間があまりありませんでしたので、また調べてからゆっくり訪れてみたいと思います。    

国土交通省関東地方整備局長野国道事務所の信州街道探訪のページはこちら

安曇野の光と風・山の別宅

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